「3つの’一’」
「3つの‘一’」
故船井先生の教えに「3つの‘一’」がある。
・一番を目指す
・一体化する
・一流化する
先生は「時流適応力相応一番」とおっしゃり
「力相応」がキーで
例えば、「地域一番戦略」と置き換えられるのだ。
もっとも「一番を目指す」と言っても
「時流」に適応している事が大事であり、
例えば、「〇〇が流行っている」と言って後追いすると
既に「時遅し」で失敗するのだ。
目先の「流行」に惑わされやすいが、
十年先という長いスパンで考えてみる事がポイントなのだ。
私はトヨタ系販売店でコンピュータを担当したが、
諸事情が重なって関連のIBM特約店をしている会社に転職したが、
この会社はオフコン・ブームで所謂「箱売り」で業績の伸ばしたが
‘92年当時は「デフレ」に転換し始めた頃で
「箱売り」だけでは収益が出ない状態だったのだ。
この会社は親会社の業務処理を受託する安定収益部門があり、
IBMの大型機を入れていたので大手から下請の開発があり、
さらにIBM特約店事業をしていたのだ。
つまり、特約店事業の赤字を他の部門で賄うという形だったが、
それにもまして、何億という親会社からの借り入れがあったのだ。
どうやら「火の車」状態の中に飛び込んだのだった。
転職した時は「期待された」状況だったが
現実の配属は「次長」というポジションだったが、
両脇に担当役員と担当課長がいて「身動き」ならない
という事だった。
2年目に営業に回り「行動の自由」を得て、
オフコン5台、ソフト開発1億円
の業績を出して、自分の思う方向と転じたのだった。
まず、会社には日本LCAのDIPSを導入して、
自らは自費で船井総研客員経営コンサルタント養成学校に通い
「船井流」を身につけようとしたのだった。
DIPSはその後「羅針盤」という商品になり、
オリジナリティを発揮したのだった。
「なぜ、船井流?」ということは
営業でお客様を回ってみると客層とミスマッチングで
「トヨタ」って意外に嫌われており
「トヨタ方式」と言っても見向きもされなかったので
何かカモフラージュする冠がいると考え
流通業の「船井流」を選んだのだった。
そして、「客員」の資格を得たが、
当時担当の役員が東京に転勤しており、
他の役員が「栩野さんの客をつくるだけ」というので
見切って現会社を創業したのだった。
結果的には
「一番化」でDIPSを導入してオリジナリティを打ち出したが
肝腎の「一体化」という点でうまく行かず
自分で「一流化」を目指す為に退職したのだった。
サッカーに「オフサイドトラップ」という言葉があるが、
転職時に引かれた受け入れ体制が正にそれであり、
彼らは「ぬるま湯」体質に浸っていたのだった。
約50人の会社だったが、
「外様」で単身では身動きの限界があったのだ。
一般的には「限界」を感じても
生活の事を考えて「ぬるま湯」体質に甘んじるのだろうが、
結構な高給を頂いており
「それに見合う成果を出せるか」
と考えて、思い切って独立したのだった。
もちろん、前職の退職金や生保・トヨタ労連の基金などがあり
その上、亡き妻が教員だったという環境があったのだ。
それでも「自分らしさ」を貫くために
有限会社エー・エム・アイを創業して
Aはアドナンスト(先進的)
Mはマネジメント(経営)
Iはインフォメーション(情報)
の3要素を織り込んだのだった。
実は創業記念日を7月3日にしたのは
亡き妻の誕生日だったからだった
という内の事情があったのだった。
それから、31年が経過したが
お蔭様で友人の一言から良いお客様に巡り合い
「Faxちらし・3段活用マーケティング」
と商品化できて、今日に至っているのだが
私の代では「3つの‘一’」は一度「気配」になったが
「まさか」が起こり失敗に終わっているので、
息子が実現して欲しいと願っている。
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