「権利と義務」
「権利と義務」
「決められない民主主義」と言われて久しい。
そんな中、圧倒的人気で登場した高市首相は
衆議院で単独でも3分の2を超える議席数を獲得して
連立を組んだ維新と併せると圧倒するのだ。
連立を組む時に合意した「1丁目1番地」の政策
・衆議院議席数の削減
で国会が空転し始めている。
野党は衆議院では少数になったが、
参議院では立憲が過半数を占めており
自民+維新では決められない
という政権のアキレス腱を盾に徹底抗戦の構えだ。
例えば、「国旗損壊罪」に関する法案は
国民民主と参政も共同提案しているが、
質疑に参加せず他の中道などと連帯して質疑に応じていない。
その理由として
「憲法で保障されている表現の自由が損なわれる」
としているのだ。
「日の丸」を国旗としているが、
歴史的にも「日の丸」が使われてきて
誰しも認めており、国際会議でも競技でも掲揚されている。
また、「君が代」も同じだ。
しかし、左派の人たちの中には唱和しない者もいるのだ。
確かに、表現の自由という「権利」はあるが、
その裏側には守らなければならない「義務」があるのだ。
つまり、「権利」を主張するが「義務」について曖昧にして
「民主主義」を盾にして少数の意見を拝聴せよというのだ。
しかし、明らかに「議員定数削減」は野党にとって死活問題なのだ。
前回の衆議院選挙では、自民党の比例候補数が少なくて
その余った議席を当ててもらった
という事実があるのだ。
比例復活という「ゾンビ」。
この方々が自らの存在に不利になる法案に対して
審議にも立たずに「静謐」な運営を要求するのだ。
本選で負けて比例復活で議員になっている
それも他党が立てられなかった議席を配分されている
という状態は
「民意」を代表している
と言えるのだろうか。
維新は「身を切る改革」を旗印に急成長した保守派で
根っこは自民の出身者もいるのだ。
国会議員の歳費問題をいう前に
「ゾンビ」で得ている議員に同じ活動費が出る
というのも可笑しなものだ。
「ラストチャンス」という言葉があるが
日本の人口が減少に転じており、
労働力確保がキモで外国人に頼る時代になっており
「国」という価値観が変わろうとしているのだ。
企業でも、この「ラストチャンス」に真剣に向き合って
労働力を確保しないと「労務倒産」になる企業が多いのだ。
国会が「身」を切って「改革」に着手して
「流れ」を生み出す必要があるのだ。
多分、「議員」の次は「公務員」だ。
AIやロボットの時代になり、職を追われる職員が出る
というのは「心ある姿」ではないだろうか。
すでに「終身雇用」という概念は死語化しているので、
公務員も「身を切る」という覚悟が必要なのだ。
全ての生産性を上げてこそ「未来」が拓けるのだ。
産業も国からの融資や投資を得ているが、
それに見合う成果を出す「義務」がある。
元に戻るが「ゾンビ議員」はホントに民意を反映しているのか
「権利」を主張する「義務」を果たしているのか
と問いたい。
「週刊文春」の記事ばかりでは「国」は進まないのだ。
ホンマ、「失われた〇〇年」の根源は「決められない」に
あるのではないかと思う。
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