「シェアの論理」
「シェアの論理」
故船井先生の教えに
「コツコツ ジワジワ イキイキ タンタン」
がある。
何事も始める時は一気呵成に行きたいが
実際には滅多にそんな好条件が揃うことがなく
第一歩で躓くことが多く、
そこで「挫折」する人が多いのだ。
マーケティングに「ライフサイクル」という物があり
何事も「導入期」⇒「成長期」⇒「成熟期」⇒「衰退期」と
変遷するのだ。
例えば、私が‘95年に
船井総研客員経営コンサルタントの資格を頼りに創業したが
当初は肝腎の「術」が明確ではなかったのだ。
従って、創業当時は「憧れ」だけで、
どんどん資金が減ったのだが、
たまたま、友人が「PL法セミナーを手伝わないか」と誘ってくれて
その参加者をフォローしている中から
「あなたの頼みたい」
という電話がかかってきたのだった。
このお客様は建設機械の製造卸をされていて、
企業診断をしたら
「情報が末端ユーザーまでの伝達に時間がかかる」
という事だったので、
当時、企業なら100%普及のFaxによる営業活性化を提案したのだ。
この結果、メーカーから末端まで情報到達する時間が
半年から即時になったので
僅か半年だったが年商16億円から20億円へ飛躍
という成果につながったのだ。
この「メーカー⇒卸⇒販売店⇒ユーザー」というルートに
「後工程引き」と名付けてユーザーへダイレクト化する
「Faxちらし・3段活用マーケティング」
というオリジナル商品が誕生したのだった。
つまり、「導入期」は約1年半もあったのだが
運よく「商品」が出来上がったのだった。
この成功で自信を持ち社員を雇い、事務所を買って環境を整え
「セミナー」展開する「成長期」に向かったのだった。
「シェアの論理」で言えば、
3%までは「非存在シェア」であり
11%で「認知シェア」になり
19%で「並走的競争シェア」
26%で「一番シェア」
42%で「独占シェア」
72%で「寡占シェア」
と言われるが、
一挙に年商4300万円でパートを含め8名にまで
「急成長」
を果たしたのだった。
大阪ばかりでなく東京や名古屋でセミナー展開して
いろんなお客様とコンタクトを取り始めて、
これから「成熟期」へ向かおうとする「勢い」が出て
手応えを感じていたのだった。
しかし、「9.11テロ」という「まさか」が起こったのだ。
2001年9月だから創業6年目の時で
これから名古屋に営業所を出そうとしていたのです。
まだ、会社として少し体力があったので、
12月に名古屋に営業所を出して、
担当のH君が古郷へ「錦」を上げたのだが、
「9.11テロ」で流通業が急激に業績悪化して
名古屋で期待していた10社から契約をとれずに
H君は週3日も大阪の既存客に対応していたのだった。
こんな状況なので「家庭的な問題」が生じて
奥さんから頻繁に
「やめさせてください」
という電話がかかって来たのだった。
本人と相談したが「意を介さず」という雰囲気なので、
奥さんと「板挟み」状況になって
さらに、業績も悪化して余裕がなくなったので
退職して頂くことになったのだった。
パートを含めて8名いたが、
自然に退職して頂くようにしたので
非常にピンチだったが
結局、社員2名の体制になって
なんとか「持ちこたえた」のだった。
その後は「セミナー」による集客が効かなくなって
既存客中心になったのだ。
たった一度の「チャンス」を経験できたのが
せめても「幸運」だったと思っている。
私の代は去年7月に終わり、息子に代替わりしているが、
息子にも「チャンス」が訪れるように祈っている次第だ。
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