「読者の意見」
「読者の意見」
この記事はFacebook、ブログ、X、HP、メルマガに掲載しているが
先日の「スぺパと割り切り」の投稿に
ある女性の方が
「文章に「のだ」が多いのは、なぜなのだ(笑)」
とご指摘があり
ハッと気がついた。
自分では論理を優先して推敲しているが
読む側の語感を忘れていた。
「するどいご指摘ありがとうございます。
「です、ます」調ではないので、
自分の結果として「なのだ」と使っています。」
と返したら
「それにしても多い!
メッチャ読みにくいから、もっと減らしてほしい。
減らせるはず←難儀なリクエストやね(笑)」
と再度ご指摘があり
「〇〇さん、心掛けます」
再度、誓った(のだ)。
確かに、「誓った」と「誓ったのだ」では押しが強く
(のだ)と含みを持つ終わり方にして
「誓った」
と(のだ)を省略した。
ホンマ、「省略」もありだと実感している。
私は大好きな歌手の三波春夫さんが
「歌は歌手の元からはなれて広く国民のモノになる」
とおっしゃったことを思い出したが、
このエッセーも自分の為だけではなく
公開すると読者のモノになる
と実感した。
読者のモノならば「読み易い」が必須。
「推敲」の視点が一つ増えた。
でも、嬉しい。
記事を真剣に読んで下さっている
と元気が出て来た。
私の体験が皆さんの役に立つことがあれば、
何よりこの上ない幸せ。
また、別の記事で書いたことに
「心証を害した」というクレームがあり
「デジタル・タトゥー」になると
言われたことがあった。
「デジタル・タトゥー」を調べると
「投稿前後に「自分が誰かの記録になってしまう可能性」を
意識した行動が求められています。」
と注意書きしていた。
確かに、物事には「両面性」があるので
「善かれ」と思う事でも
立場が変わると「そうではなくなる」
と配慮することがポイント。
一方的な「善かれ」の押し付けにならないように
心掛けたいと誓ったのも事実。
クレームをして下さった方に感謝すると共に
「お詫び」を掲載したのだ。
そう言えば、同時通訳の西山千氏が
「物事には2つの理解がある」
とおっしゃったのを思い出した。
ちょっとした「齟齬」から発展して
意地を張り合うようになり
ついには紛争になっている。
もし、どちらかが「そうだね」と受け止めたら
紛争にならないように
「齟齬」から来るクレームを素直に受け止めたい
これは故船井先生の教えにあったことだ。
「〇〇さん、そうだね」と感謝。
| 固定リンク


コメント